協力隊退任につき、思っていること言う
もきちの地域おこし協力隊としての活動が終わったで。
通常3年が任期のところ、4年いさせていただきました。
無事任期満了まで勤め上げることができたで。助けてくれた方々に感謝。
本当に色々あって、言いたいこと、言えないこといっぱいあるけど、今回はひとつの思い出としてブログに残しとこうかなと思う。
協力隊の世間のイメージとの違い
地域おこし協力隊って今ではちらほらメジャーになってきてて、いろんな活動をしている人たちが増えてきて、個人的には地方に移住者が増えるのは喜ばしいことやと思う。
世間では
「協力隊ってブラックなんじゃ?」
「税金使って地方で好き勝手できてええな」
「地域ともめてかわいそう」
なんて声をたまに聴くけど、あくまでもきちと周辺の声を聴く限りでは、そういう部分もあるよなって思う。
まず協力隊は国の税金を使うから基本的に公務員と同じ扱いなんやけど(所属も大体地方役場の会計年度)給与は地域によって実はばらつきがある。
与えられた年間予算のうち、給与に使える額は毎年決まっていて、大体月20万ほど。他は活動経費として使わなければいけんのよね、
例えば年間480万の予算が協力隊に与えられてたとしても、給料は240万ほど。後は役場からの上乗せや、毎年の昇給、そして令和6年度から会計年度職員もボーナスが支払われるようになったので、それも加算される。
令和6年度からは会計年度の待遇良くなったで。羨ましー
ちなみにもきちの1年目の給料は大体月20万くらい。でも経費の使い方がよくわからず、結局与えられた予算の半分ほどは役場に返還。
もちろん経費は協力隊の活動に関することのみに使用可能で、個人の利益になるものには使えない。
もきちの肌感では協力隊の給料はその地方の公務員5年目くらいの給料な感じで、恵まれている水準やと思う。
ただ都市部から移住してきた人にとっては結構給料減ったという人、多いんじゃないかな。
月20万って都市部では今新卒より低いもんね。
いやいや、地方だから物価が安いんじゃないかといえばそうとも限らず、もきちは離島生活のため、物価は都市部より高く、車は必須の上ガソリンも高い。
夫婦共働きでやっと、子育てしながら生活できるレベル。
さらに、ここは協力隊の制度の問題やけど、協力隊の活動の多くの部分に自費を使っているので、活動に力を入れれば入れるほど出費が重なるんよね。
なんで?経費が与えられてるんでしょ?と思うけど、そうはならないのが難しい所。
協力隊の問題点
- 経費の使い方がわからない
- 活動のスピード感が遅い
- 隊員に裁量権がない
まず、協力隊は基本的に会計年度職員として地方公務員として所属するか、役場から業務委託等を受けて活動するんやけど、会計年度の割合が多いかな。
今までもきちはサラリーマンとして働いていたから役場の予算の使い方というのが分からず、経費をどうやって処理するのか、どう使うのかもわからず相当苦労した。
また、年度初めに就任したのでその時には今年度予算と事業が決まっている状態で、(大体12月くらいに次年度のことが決まる)新たに事業を組み込んだりするには補正したり議会を通す必要があるんやけど、そういうのもわからんよね。
色々周りに相談しても、来年度からやろっかという話になり、結局たらいまわしになったり、村長まで決裁を回す方法も書類の準備などもわからず、初年度が終わってしまった。
これ、役場の感覚では次年度に回せばいいって話やけど、協力隊からしたら活動期間の3分の1を失うってことやから結構ダメージが大きい。ここらへんが今にしてはもったいなかったなって思う。
協力隊には就任前に公務員としてのいろはを教え込む研修が必要。就任後では遅いと思うで。そしてどの事業をどのようなスパンでするのかを前もって役場とすり合わせするためにも、協力隊も事前に視察を行い、やりたいことなどを明確にしておくとスムーズやないかな。
次は活動のスピード感。どのような事業を行うかにもよるけど、3年というのはあまりにも短い。
最短でも1年目で現場に慣れ、2年目で事業検討、3年目でやっと実施。効果を測って改善する前に終わってしまう。しかも、や。3年目には自分のその後の身の振り方も考えとかなあかん。
こうなると単発のイベントを行って成功したとか、短期的な成功しか望めないし、地域に事業が根付くことも難しい。協力隊時代にしてた活動、退任後も自営でする?そんなパターンは珍しい。
そして3年という任期は隊員と役場のスピード感の違いも生む。
役場にとっては長期スパンで事業を組み込み、様々な根回しや予算編成、検討を行い進んでいくため、単年度で事業決定から完了まで進むということは少ない。
対して隊員は期限があるのでPDCAサイクルを高速で回す必要がある。
にも拘わらず、経費を使う際には決裁や相見積もり、計画書の提出など、役場としての筋を通す必要があるので(これは公金なので当然として)タイムラグがとても大きい。
例えば何か商品を買いたいとなったときに、amazonでの購入不可、クレジットカード不可のため、役場の承認を得て、一旦間に卸業者を挟み、見積もりを取り、業者経由で商品を購入し、伝票作成を行う。
そうなると商品ひとつ買いたいとなっても届くまで数週間かかるので、すぐに欲しいものなどは自費で買いに行くかという発想になる。
また、経費として認められるかどうかも厳密な基準があるわけではないので、そのあたりの調整にも時間がかかる。
もきちの場合は、地域の広報のためのカメラを購入しようとしたとき、地域の発信用のアカウントと個人アカウントを作成したが、それだったらカメラは2台必要とか(個人用と地域用で2台)、広報とはいえもきちの家族を写す=プライベートなことにもなる、編集は個人のパソコンのためデータが公と私の区別がつかない等の問題を指摘されたため、面倒になり自腹で購入した。
そういった、隊員の活動と個人の活動が重なる場合、隊員の活動が勤務時間外にも及ぶ場合など、公と私が混同するおそれのあるものは全て自費でまかなっていたので、結構な額の出費を迫られた。
なので協力隊って儲かるのかと思う方もいると思うが、実質年収200万を切ることもあった。
協力隊の3年という期間は事業継承など、あらかじめ事業内容が決まっている場合は適切な期間やと思うけど、隊員自身が問題解決を図り、かつ地域に馴染むための期間も含むとなると短すぎる。もし3年の期間内で円滑に事業を進めるためには、受け入れる自治体側も綿密に事業を練り、3年のなかで何をしてほしいか明確にするサポートが必要。隊員に丸投げはあかんよ。
3つめの、隊員に裁量権がないっていうのは、活動内容によって違うんやけど、隊員の主な目的は地域の資源の掘り起こしなんよ。
新しいものを生み出すというより、もともと地域にある魅力を、外から入って実際に暮らしてみて、住民が気付かない部分を再発見するという作業。
だって新しい産業とか事業を作るんなら専門家に任した方がいいでしょ。都市部から地方への人口移動も目的やけど、求められているのは隊員による新しい目線。
※一部では隊員をただでこき使える労働者としか見てない自治体もあり、そういうところにあたるとミッションも与えられず、雑用ばかりを任せられるなんてことも。
ここで大事なのは、役場にとってやってほしいことと、地域の人たちがやってほしいこと、自分がやりたいことは必ずしも同じではないということ。
ここらへんを、地域と行政がすり合わせしておかないと、間に挟まれた隊員は苦しい思いをすることになる。
例えばある宿の再建を行政が隊員に命じたとしても、実際入ってみると宿のオーナーは民間で別にいて、オーナー的には今のやり方を変えたくない、もしくは新しいバイトが入ってきたとしか見てないので、新しいことをしようとする隊員ともめるとか。
隊員としては会計年度なので、行政の命に従うべきだし、最終決定権は行政の長になる。
でも現場は民間が回していて、別のオーナーや社長、地主などが仕切っていた場合、結局どちらの言うことにも従わざるを得ず、隊員としての存在意義をなくす。
色々話を聞いた中では、隊員が途中でやめる、もめる原因のひとつには行政、地域、隊員との三者がうまくコミュニケーションが取れていないのが見られる。
まぁ行政と地域がそもそもかみ合ってなかったら、運が悪かったとしか言いようがない。そんなの移住前に見抜けないからね。
隊員に事業を任せるのならば、ある程度の裁量権を与えた方がスムーズに進む。決定権者が複数いると、結局責任の所在や、誰が決めた、誰が言った言わないでもめるのは明白。
なので隊員を個人事業主として、業務委託契約を結ぶ雇用体系の方がいいのではと個人的には思う。会計年度だとどうしても行政のやり方に合わせる必要があり、特殊な勤務の隊員にはマッチしない。
もきちの場合はどうだったか
もきちは結局4年も勤め上げたんだから、そして退任後も住み続けているのでさぞかし順調に進んでいるように思われるやん?
結論から言うと、運が良かったんやろね。
- 先輩隊員がいたこと
- 役場の職員に恵まれたこと
- 好きにさせてくれたこと
- 任期が4年あったこと
まず先輩隊員がいたことはめっちゃ大きい。分からないことはもちろん、同じ悩みを共有するっていうのは精神的にもすごく助かったんよね。
行政というのは前例主義やから、先輩がある程度礎を作ってくれた部分は後に続く隊員にとってはやりやすいし、行政も処理をしやすいっていうのも大きな利点。
なのでこれから協力隊を考えている人は、OBがたくさんいる地方を選ぶのはメリットになるかもね。
次に、役場の職員に恵まれていたこと。地方でもどこでも自分に合う人、合わない人はいると思うけど、自分に関わる役場の人、同じ部署にいる人たちには本当にいい人が多かった。
外部から、やいのやいの言われたり、やっかみ言われたりすることあっても、ホームである所属部署が居心地よかったので、なんとか耐えられたんよね。
正直、辞めようと思ったことは1度や2度やないよ。
そして最も幸運だったのは、ミッションがふわっとしていたこと。
これも難しいんよ。行政側から明確な活動内容を命じられていないと、ほったらかしに感じて、適当に扱われてるって感じる人もいれば、決められたことするのは窮屈に感じる人もいる。
もきちは自分で考え、自分で行動したい派だったので、どうぞお好きにして下さいと半ば放置されていた方がやりやすいタイプ。
その代わり、当初のミッションと違う方向性や、新しい取り組みをする際には逐一担当者と打ち合わせや了承を得てきたので、活動自体で揉めることはなかったかな。
もきちは最初のミッションが2年目で手詰まりになり、地方と行政の板挟み状態になり、軽く病みそうになったとこで、このままじゃあかんと方向転換したんやけど、もしミッション変更が了承されてなかったら辞めてたと思う。
だって協力隊って地域のために働く奉仕的な側面も持ちつつ、自分も移住者の一人として新たなライフスタイルを確立させなあかんという、ダブルのミッションを3年でこなさないとあかんのよ。
で、最終的には自分の人生、家族の人生、そっちを優先するのが当然やけど、責任感の強い隊員さんは時には地域の奉仕を優先させて病んだりするんよね。
自分は地域に何も貢献できてない、迷惑かけてばっかり、なんて色々な元隊員さんから聞いたよ。もきちも1年目、2年目はそうやった。
今はある意味家族で移住して子供も連れて行って人口増やして税金納めてるだけでもミッション成功ちゃうんって開き直ることにした。
それくらい隊員になる人って真面目な人多いし、地域のために何かしたいっていう奉仕精神がある人ばっかりやと思う。
そんな隊員に対して心無い言葉いう人ってほんま何様なんって思う。
※でも、中には定住するつもりもなく自分のキャリアアップの踏み台としか考えてない隊員もおるけどね。制度の悪用というか、ある意味ライフハックというか。
最後に、任期が4年あったのはめっちゃ幸運やった。1年目がコロナで活動できなかった救済措置なんやけど、2年目でミッション変更、3年目でなんとか方向性の決定、4年目で形にし、個人事業化とぎりぎりで退任後にも活動を続けられることになった。
これが3年で終わりやったら、たぶん活動はそこで頓挫、退任後は全く違う仕事をしていたんちゃうかな。
協力隊時代にしていたことを退任後も続ける人ってそんな多くないんじゃなかろうか。だって協力隊時代は利益を生み出してはいけない事業が、退任後は急に利益を生み出さなければいけないってかなりの無理ゲー。
ここらへんもこの制度の今後の課題ちゃうかな。退任後は稼いでいかなければいけないのに、在任中は稼いではいけないって仕組み。
結局どーなん
結局、地域おこし協力隊は自分にとって最高に苦しくて最高に楽しかった時間やった。
途中でやめなくてよかったって心の底から思う。
在任中は公の仕事だから当然公務員として部署の手伝いや活動にも参加しつつ、協力隊のミッションも遂行しつつ、地域に溶け込みつつ、退任後の個人事業の準備もしつつと、とてつもなく忙しい日々やったけど、得られたもの、人との出会いは何物にも代えられないなと感じる。
それだけにこの制度自体は続いてほしいし、まだまだ改善点は大いにあるんちゃうかな。
今はおためし協力隊とか退任後のキャリアのひとつ、プロマネや起業支援金など様々なサポートも充実しつつある。
これからは地域おこし協力隊のOBとして陰ながらこの制度の発展を祈ってるで。